環境づくり①

私は音楽中心の生活をしたい。 主に歌を歌うことに集中したい。そのため自分の部屋に一日中楽しく没頭して作業できる環境を作りたい。

具体的に部屋がどうなればゴールなのかというと、

・作業をする際に気が散るもの(音楽の中でもやりたい作業に関係ないもの)が一切目に入らない状態

・見る度に「捨てたいけど捨てられない」と思い続けている物を完全に処分している状態。

・音楽の作業を自分がそこでしていることを具体的にイメージできるようなものがあったりそういう配置になっていること。

現状としてはまだ部屋は完成していないし、音楽中心の生活にも全くと言って良いほどなっていない。

ただ、ゼロからのスタートではなく、ある程度土台はできている。

2018年に出会った本、佐々木典士の「ぼくたちに、もうモノは必要ない。(以下:ぼくモノ)」がきっかけで、所持していたモノの7割くらいは既に手放せている。なので部屋作りの進捗率としては70%くらいだ。

70%までに至るだけでも大変だった。 振り返ることで今後どうすれば良いかも見えてくるかもしれないので、それまでの過程を振り返っておきたい。努力したという証拠としても残しておきたいし。

私の部屋は物心ついたときから19歳くらいまでの間、足の踏み場がないほど物が多く、机の上まで物に埋め尽くされている状態だった。

学生時代は散らかった自分の部屋で勉強することができず、専ら学校の図書室を利用していた。

私は今まで人生の中で何百時間も片付けに費やしてきた。何百時間もかけているのに終わらなかった。片付けても片付けても散らかる状態の無限ループに陥っていた。

その無限ループを止めてくれたのがぼくモノだった。

ぼくモノを読む直前(20歳くらいの時)の部屋の写真がスマホ内に残っていた。読む前なのに既になんだか片付いて見える。

読む前に近藤麻理恵の「片づけの魔法」を読んでいた影響かもしれない。この頃から本の力を借りるという術をきっと身につけたのだろう。

こんまりさんの魔法で片付いたように見せるところまではできたが、魔法を理解しきれていない部分もあったようで、モノを手放す段階を殆ど終わらせることができなかった。結果的に無限ループからはまだ抜け出せていなかった。

ぼくモノを読んでからは、それまで絶対に捨ててはいけないと思い込んでいた多くのモノが、手放すべきモノであることに気づいた。

今まで捨てられなかったモノの中には、見るたびに過去の失敗や嫌な記憶を思い出す、私にとってもはや呪物に近いようなものも沢山あった。

ぼくモノを何度も読み返して捨てられなかったモノの大半は手放すことができた。

ぼくモノの中に登場する、ゆるりまいの「 わたしのウチには、なんにもない。」も2巻購入して読み、モノを手放すことの重要性への理解を更に深め、更にモノを手放せた。

ミニマリストの本の中に登場する部屋は、ガランとしていて気を散らすものが一切なく、ホコリの発生源もほぼ無いので掃除もしやすい澱みない、澄んだ空間ばかりだ。

あのような澄んだ空間をイメージして部屋作りを心掛けることは大いに役立った。自分にとっての澄んだ空間とは何かを考えさせられたからこそ、この後の片付けが更に進んだとも言える。

2023年になるまでの数年間は前進していたものの進捗率としては50%の状態で止まり、リバウンドしては減らして、をループする停滞期が続いていた。

2022年下半期に、たまたまPeatixで見つけた発達障害に関する本の発売イベントに参加してその本を買った。そこからヒントを得て、注意散漫な自分を落ち着かせるために役立ちそうなサプリメントをiHerbで探して服用し始めた。

突然関係ない話をしている感じがするが、このサプリメントが後の2023年の自分の片付けに大きく影響を与えた大事なポイントかもしれないなと今振り返って見ると思うので一応書いた。

あと、2023年前半頃からだろうか。食生活にも変化があった。これも影響が少なからずあると思う。

 炭水化物を食べた後の急激な血糖値の上昇による睡魔が、あらゆる私の判断を鈍らせていることに気づいた。そして、炭水化物メインの食事からそうでない食事に切り替えるようにした。

具体的には、今まで会社で食べる昼食がパックごはんやカップ麺だったのを、ミックスナッツ中心に切り替えた。自宅での間食も一部ミックスナッツに置き換わった。

 

机で何か作業ができる状態に変わったのは2023年になってからだ。ぼくモノに出会ってから5年も経ってしまった。

2023年以前はまだやりたいことが明確には定まっていなかった。一応2018年の時点で既にぼんやりとではあるが音楽をしたいという考え自体はあった。

ぼんやりではなくはっきり決める必要があったのだと思う。

2023年なってから劇的に部屋が変わったのは 2つの出来事がきっかけだったと思う。1つ目はそれまで懐疑的だった自分の音楽的なものに対して自信を持つことができたこと。2つ目はアコースティックギターを購入したことだ。

2022年頃からはボーカロイドにハマったこともあり、聴く音楽と歌う歌とキーの幅がより広がった。そして2023年にはボカロ界隈に歌い手としてカバーする文化があるというのを知った。

「歌うの好きだけど、客観的に聴いたら私って歌下手なんだろうな。嫌だな。」となんとなく思っていた時に、客観的に自分の声を聴ける機会があった。その機会というのは、モニターヘッドホンのあるカラオケボックスである。

本当にそうか検証も兼ねてそこでボカロの曲を歌った時、「全然イケるじゃん。これ得意かもしれない。本格的にやったらバズれるかも」と特に根拠はないが自信が沸いた。

いや、考えてみれば根拠がないとも言い切れないのかもしれない。今まで歌に関わらず音楽関連の活動で学校の先生や友達から褒められることが少なくはなかった。

その時いつも「お世辞の範囲だろう、でなければあちらの勘違いだろう」と思っていた。

にしては、学校の先生からまぁまぁなポジションを振ってもらえることが少なくなかった。

持ち前の注意散漫さのお陰でほとんどものにできなかったと、ネガティブな気持ちになるから記憶の闇に葬られていた記憶を掘り返してみた。

「もしかして、ちょっとはほんとのこと言ってくれてたのかな。ちょっとは素質的なものがあんのかな」って思えた。

長ったらしい自信回復エピソードだが、環境改善に大きく影響した出来事なので長ったらしくした。

 

続いて、アコギに関しては、前述のエピソードが影響している。歌ってるうちに、ちょっと真面目に音楽をしてみたい気になった。

歌うことをより楽しみたい、そのためにどうすればいいだろうと何となく考えるようになった。

そんな時に、とりあえず行ってみた楽器屋で店員さんに勧められて購入した。

弾くのは想像以上にしんどかった。手がズタボロになったし、一向に弾けるようにならずムカついた。でも、ちょびっとずつ弾けるようになっていくのはまぁ嬉しかった。

そしてアコギを部屋に置くと、散らかった部屋の中で唯一そこだけ輝いて見えた。ちょっとずつ愛着が湧いていく。

そうだ、今までこういうものが足りなかったんだと気づいた瞬間だった。私と私の部屋に足りないのは音楽だったんだと。

音楽を生活の中心に置きたいと思い始めたのはそこからだった。ここでやっと、やりたいことがぼんやりしていたから部屋が片付かなかったのだということに気づいた。

そこから家で歌を録音できるようにするために要らないモノを捨ててスペースを作り、録音ブースを作った。 MIXしやすいように各種ソフトやモニターディスプレイも買った。

その時周囲にYouTubeを熱心にやっている同じくらいの世代の子が数人いたのもこの環境づくりを後押ししたと思う。

こんなに色々揃えたのにまだ全然録音ブースも使ってないし、MIXもしていない。なぜしないのか。

原因はわかってた。進捗率が70%だからである。残りの30%に特級呪物が残っている。考えるだけで萎えてくる。

呪物から良くない気みたいなのが漂っていて、生気を奪う感じさえある。呪いそのもの。気持ち悪い。

ここまでくると絶対普通に捨てた方が良いんだろうなと頭では分かっているつもりだが、捨てられない。

次回は、その特級呪物について書く予定。